2016年12月08日

vol.2 品種改良とは?

そもそも、穀類をはじめとする作物の祖先は、野生の草木類です。
私たちが見慣れた、麦、米、トウモロコシ、バナナ、トマト、なすび、スイカですが、これらは元々から今のような姿、味、色をしていたわけではありません。
原産地も、非常に限定的です。

少し、その姿を見せましょうか。

トマトの原種  タマリロ
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http://yakushimajiji.at.webry.info/201405/article_21.htmlより

バナナの原種
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スイカの原種
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http://labaq.com/archives/51854698.htmlより

人参の原種
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http://blog.goo.ne.jp/taronpe-1944/e/2ae43cec864b26d73dbe746afd29e427より

麦の原種
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米の原種
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http://npotambo.com/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%88%80%E3%81%AE%E9%8D%94%E3%81%AB%E6%8F%8F%E3%81%8B%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%A8%B2.htmlより

どうですか?祖先と子孫、こんなに姿は違うのです。
では、野生の植物たちが、今の穀類や野菜、果物になるまでに、どんなことが起こったというのでしょう?

一刀両断すると、

自然の力ではなかなか起こりにくい「掛け合わせ」を、人為的に、回数多く行うことによって、植物の持っている性質を強調したり、あるいは、まったく無くしたりしたのです。
こういう行為を、品種改良と呼んでいます。
別の表現をすると、人間に都合の良いように植物の性質を変えていったのです。

ここで、一度、私たちの一番なじみ深いイネ(お米)を例にとって見ましょう。
(麦から敢えて離れて)

イネの原種はもともと日本列島にはありませんでした。
縄文時代に、朝鮮半島を通って、原産地の中国大陸から伝えられたといわれています。
今から50年ほど前には、弥生時代にイネの伝承があり、縄文文化ら弥生文化へ進んでいったとされていましたが、最近の科学の進歩でイネの伝承の実態、つまり、歴史的事実は、これとは少し違うということがわかってきました。
花粉の含まれる「不腐食成分のプラント・オパール(ケイ素が主成分)」の発見により、土地々の大昔の植生がわかるようになってきたからです。

品種改良の最初は、実った雑多なイネ(いろいろな原種が混ざり合っていたと考えられています)の中から、丈夫で育ちやすく、たくさんの実をつける、栽培に良さそうなものを選んで増やすことからはじまりました。
たとえば、ある病気が流行した年に、その中で実ったものを次の年のタネにするだけでも、その病気に対して強い品種を選んだことになります。 
また、自然下での交配(かけあわせ)が起こり、時には突然変異によって、それまでとちがうイネが出てきたりして、その突然変異種が自然により適合的であれば、その場所でくりかえし植えて、その土地に一番合ったものに進化させていったようです。

イネの花がさく時期や、株の大きさ、分桀(ぶんけつ)、茎の長さ、根の張り出しなどで区別して、いわゆる「品種」を作ったのは、平安時代ごろからだといわれています。
さらに、鎌倉時代から後になると、品種への関心が高まり、新しい品種を発見したり、品種の分類を進めたといわれています。こうして分類された品種が、たくさん植えられていた時代は江戸時代までつづきました。 
明治時代になると、今度は、たくさんとれて、おいしくて、病気や寒さに強い品種を、いよいよ、もっと積極的に、人工的に創り出そうということになりました。

特に、庄内平野では、昔から農家の人がイネの品種改良を盛んに行っていました。
余目町の阿部亀治さんが育成した「亀の尾」は、今の「コシヒカリ」や「ササニシキ」「ひとめぼれ」「あきたこまち」「はえぬき」といった、おいしい品種の先祖です。
1893年(明治26年)亀治は、冷害の年に立谷沢(現:庄内町)の熊谷神社に参詣した際に、その近隣の田んぼで、在来品種「惣兵衛早生」の中で冷害にも耐えて実っている3本の穂を見出しました。
亀治は、この3本をかけあわせて、苦労してより冷害に強い「亀の尾」を増やしたといわれています。
このような品種改良は、現在、試験場でおこなっている方法とあまり変わらないもので、基本的にすべての野菜の品種改良の基本になるものです。

その後、明治31年にイネを人工的にかけあわせる技術を、滋賀県の高橋久四郎が開発し、明治37年(1904年)から農商務省の農事試験場(設立1893年)で、山形県の加藤茂苞(かとう しげもと)がイネの品種改良研究を実際に開始しました。

参考  農林水産省HP http://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1111/spe1_01.html

品種改良の原点は、このように、栽培地域の気候により適応的なものを作り出し、収量を上げる、気候の変動に打ち勝つことでした。しかし、ある程度この要求を達成できる技術が完成すると今度は、要求事項に経済的一面が加算されていきました。


そして、この経済的一面が、大きな問題を生んでいきます。

おいしくないと売れない、もっとおいしいものを作り出したい・・・・
この思いが、植物の有るがままの姿を歪めていったのです。

1)おいしくなった植物は、別の表現をすると、栄養豊富になっているといえます。
ところが、私たち動物はその、栄養豊富な状態には、適応していないのです。
食べものを探す苦難の進化の歴史の途中、何度も飢餓を生き抜いてきた記憶は、体に「飢えには強いが、飽食には弱い特質(節約遺伝子)」を残してきたからです。

2)植物の側から見ると、とてもおいしくなった体は、多くの捕食動物にかじられてしまいます。
これらから身を守るために「阻害毒」も構築しなければならなくなるのです。

3)おいしくなった植物を栽培する側の人間にとっては、自分たちが食べる前に、植物(作物)を食べてしまう細菌や虫、小動物はまさしく敵ですから、それらを殺す工夫をしなければなりません。

1)によって、米は、アミロペクチンを多く含む品種が多く開発されるようになり、麦は、グルテンを多く含む品種がたくさん栽培されるようになりました。

2)に関しては、おいしくなれと肥料をたくさん与えることで、植物体は、硝酸態窒素(硝酸塩)をより多く、その生体内で作るようになります。人間を含む動物が硝酸態窒素を大量に摂取すると、体内で腸内細菌により亜硝酸態窒素に還元され、これが体内に吸収されて血液中のヘモグロビンを酸化してメトヘモグロビンを生成し、メトヘモグロビン血症などの酸素欠乏症を引き起こす可能性がある上に、2級アミンと結合して発ガン性物質のニトロソアミンを生じる問題が指摘されています。

3)については、細菌を殺す殺菌剤、害虫を駆除する殺虫剤などの農薬に頼ることになりました。
それも、身近にある天然素材(唐辛子など)を活用する「お百姓さんの知恵」から、化学合成物質である農薬を購入して使うように変わって行きました。

最初は、「収量を上げ、天変地異に強い、その土地の気候によくあった作物を作ろう」とするものだった品種改良は、「おいしくて売れるものを作ろうとする、もうけを考える、経済的利己的な」品種改良へと変貌していったのです。
自然の理に合ったものよりは、人の欲求を満たすものへと・・・・。

ここまでは、イネを例としてお話ししました。
このコラムの中心である「麦」において、昔々、遠い西アジアで行われた、複雑でわかりにくい「掛け合わせ」、「品種改良の歴史」については、下記のサイトを熟読ください。
また、3冊の本をご紹介します。

http://sciencejournal.livedoor.biz/archives/929404.html

品種改良の日本史―作物と日本人の歴史物語
鵜飼 保雄 (編集), 大澤 良 (編集)

麦の自然史【人と自然が育んだムギ農耕】
砂糖洋一郎・加藤鎌司

小麦の科学  シリーズ≪食品の科学≫
長尾精一編  朝倉書店


作物に行われる品種改良は、しばらくすると薬品を使った突然変異の創出や、遺伝子組み換え技術の発明などで急速に歪められていきます。自然の営みから外れる、人間の欲望を適えるための異質な生物を世の中に送り込むことになったのです。

そして、人間は得をしたのでしょうか?
自然の中では到底生まれえなかった生物を食することで、何が起こっていくでしょうか?


この続きは、次回vol.3にて。

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posted by グレイニスト at 18:54| グルテンフリーの真実

2016年10月31日

vol.1プロローグ

「ヒトの主食は穀物、日本人には米・雑穀。安全においしく賢く頂きましょう」

グレイニズムは繰り返し、このことを説いてきました。
ヒトの健康を育む食を支えるのは穀物。その根拠は、コラム「穀物を食べるということ」で詳述しています。

 ところが、ここ数年、健康食の分野で、穀物を排斥する論法が目立ちます。
「炭水化物は食べるな、とくにご飯やパンは厳禁」という食事療法、すなわち糖質制限食です。
みなさんも耳にしたことがあるでしょう。

 糖質制限食は、もともと糖尿病患者のために考えられた食事療法です。
糖をうまく使えない病気になった人に、「今は糖質(ご飯やパン)を我慢しましょう」と指導するのは、間違っていないでしょう。
しかし、糖尿病でもないのに、ダイエット(減量)したい親の道連れにして、育ち盛りの子どもにも炭水化物を食べさせないでいると、脳は活性化せず、精神活動も遅滞してしまのではないでしょうか?

 さらに、何人かの著名な医師が、健康な人の日常食についても「人間の体のエネルギーの作り方は、血糖を中心に回すものではない。脂質を摂取してエネルギーを作り、その最終段階であるケトンが脳の栄養素である」と主張しています。
「飢餓時にケトンを利用するのではなく、ケトンが脳の中心だ」とまで言う医師もいます。

いわゆるケトンダイエットです。

「本来、肉食・骨髄(油)食中心だったヒトが、穀物を食べるから病気になった」
「加熱食をするのはヒトだけ、だから病気をする。野生動物は生食だから病気しない」…

穀物食、加熱食を否定するこの主張が真実なら、人類の5千年の文明は間違っていたことになります。
はたしてそうでしょうか。
この5千年来、大規模な気候変動などの困難を超え、ヒトは確実に“頭数”を増やし、寿命を延ばし、他のどんな高等動物よりも繁栄してきました。
ヒトが手にした穀物食、加熱食がその基にあることに疑いはありません。
  
地球環境、食物資源の観点からも、ケトンダイエットには破綻が見えます。
もしも穀物食、加熱食を否定する食べ方が全世界に広がれば、70億人が食いつなぐ肉と油のために、どれだけの頭数の牛や羊を殺すのでしょう?70億人分のココナッツオイルを採るために、どれだけのココ椰子が必要でしょう?

それは、まるで、ヒトの祖先が、マンモスなどの大型哺乳類を、群れで追いかけて食べ尽くした、原始の時代、飢餓時代の再来のようです。

 こうした健康食がまかり通る風潮に警鐘を鳴らし、文明という賜物を人類に授けてくれた「穀物たちの名誉」を回復したいです。

しかし、飽食がまかり通る、現実社会の中で、糖をうまく利用できない人、小麦を食べると体調が悪くなる人が出ているのも事実です。
それなら穀物は今、どのように健康に利用されればいいのか。
諸病の発生の原因をひもとき、対応の仕方を共有したいと願って、新しい連載「グルテンフリーの真実」を始めます。
ご一読いただければ幸甚です。


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posted by グレイニスト at 17:16| グルテンフリーの真実