2014年06月16日

「初夏の豆」明峯哲夫

豆はなぜ丸い?

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マメの仲間はいずれも蝶の形をした美しい花を咲かせます。花が落ちると莢(さや)を結びます。莢は肥大・成熟し、やがて水分を失う。すると莢は突然はぜる。この「はぜる」という日本語は美しい響きを持っていますね。耳を澄ますと「ピシッ」と乾いた音が聞こえてくるようです。さて莢がはぜると、その衝撃で中の豆がポンと勢いよく飛び出す。豆の多くが丸いのは、飛び出した豆が地べたを転がるためです。少しでも遠くへと。

 植物は一度根を下ろすとそこに永住する「不動の存在」。だからこそ植物はせめて子どもはと、種子を遠くに飛ばそうとします(種子散布)。その工夫は多様です。風や水の流れに乗せる。動物の体の表面に付着させる(ヒッチハイク)。そして動物に実を食べさせ未消化の種子をとある場所で排泄させる。つまり動物に播種をまかせる。糞と一緒ですから、ついでに施肥もまかせている(有機農業です)。一方地面を転がる豆は、種子散布の最も素朴なものといえます。他にも例えばドングリ。ドングリの実(種子)は重い。そこで重力でストンと直下に落ちる(秋の夜半、庭のカシの大木からドングリが屋根に落ち、その打撃音で目を覚ますことがあります)。そしてコロコロと転がっていく。ただし転がって行く先が「お池」だと具合が悪い。

 最近「シカクマメ」と称する豆を店先で見かけます。若莢を食べる。インドや東南アジアで古くから栽培されてきたものです。ところで「シカク」というのは気になりますね。はぜた後、豆はサイコロのように転がるのでしょうか。実はこの豆の莢の形を見るとなぜ「シカク」なのかが分かります。莢の表面には四方に翼が着いていて(何のためでしょう)そのため断面が四角い。しかし中の豆はお約束通り丸いのです。


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豆の栄養価といえば、タンパク質含量が特に高い。米、麦、トウモロコシなどのイネ科の穀粒のタンパク質含量は7~10%程度。しかし豆類のそれは20~25%。大豆に至っては35%もあります。豆類は「畑の肉」。豆は昔から「貧者の食物」でした。

 豆類のタンパク質含量が高いのは、マメの根の組織に根粒菌という特殊な細菌が共生しているからです。根粒菌は空気中から窒素を取り込み、それを材料にアンモニアを合成します。マメ科植物はアンモニアを栄養として貰い受け、それを材料にタンパク質を合成する。植物はそのお返しに光合成で作った物質(糖類・有機酸)を根粒菌に分け与え、根粒菌はそれをエネルギー源として利用している。バーター(物々交換)です。一緒にいることが、お互いにメリットになるのです(相利共生)。

 栄養価の高い豆類は動物の餌として格好の存在です。しかしマメとしても、ただ動物に食べられる一方では、命が幾つあっても足りません。そこでマメ類(マメ科植物)は食害に対し、様々な抵抗策を編み出しています。

 全身を守る方法。
 全身を鋭いトゲで覆う(アカシアなど)。美味しいものにもトゲがある。ご注意あれ。

 瞬間的に体を動かし、動物を威嚇する(オジギソウなど)。庭先で子猫が遊んでいます。その鼻先が鉢植えのオジギソウの葉に触れました。次の瞬間オジギソウはヘタヘタと全身をひれ伏しました。それに仰天した子猫が一目散に逃げていくのを目撃したことがあります。しかし実際にはオジギソウの動きは子猫が腰を抜かす程素早くはありません。全身の葉を閉じ、下垂させる姿には、動物の食欲を減退させる効果があるのかもしれません。

 種実(豆)を守る方法。
 毒を盛る。多くの豆は毒性物質(青酸、サポニンなど)を含んでいます。これらの毒は、口にした動物をただちに致死させる程強力ではありませんが、苦味があったり、下痢を誘発したりと、“いやがらせ”の効果があります。動物はその苦い経験に学び、二度と近づかなくなる(はず)。

 実を地中に着ける。ラッカセイは実を地中に着けます。花が落ちると花柄が下向きに伸び始める。そしてついには地中に突き刺さり、そこで実を結ぶ。ラッカセイはまさに落花生。どのような理由で地中に結実させるのか謎です。しかし実が地中にある限り、地上の動物の獲物にはなりえません。

 豆を守る最大の武器は、豆がすこぶる硬いということです(硬実性)。完熟した豆は動物にはどうにも歯が立たない。

 動物と豆との攻防は、こうして豆の圧勝のようです。豆は動物にとり近づきたくとも近付き難い存在なのです。


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 ひたすら閉ざす豆。しかしそれをまんまとこじあけることに成功した動物がいます。他でもない人間です。ここでも人はまさに「選ばれし者」のようです。

 人の咀嚼機能は同じ高等霊長類のゴリラと比較しても大きく退化しています。そんな人がどのようにして「閉ざす豆」をこじ開けたのでしょう。いうまでもなくそれは「文化」の力によってでした。その「文化」とは「農耕」と「調理」です。

 人類による農耕は約1万年前に始まりました。その結果世界各地で様々なマメが栽培されてきました。しかし1万3000種ともいわれるマメ科植物のうち、人類が栽培化したのはわずか30種程。人間はすべての豆をこじ開けたわけではなく、その中から栽培しやすいもの、食べやすいもの、つまり“人間好み”のものを「厳選」してきたのです。そしてそれらの豆を栽培化の過程で、大粒で柔らかく毒性の低いものへと“改良”してきました。人間にとっての“改良”とは、マメにとっては“武装解除”、つまり“屈服”を意味します。

 一方人の「調理」は、「火」の使用から始まったと言われます。しかし「水」の利用もそれと並び重要であることを忘れてはいけません。人間たちは「水」と「火」を駆使して、豆をこじあけようとしてきた。以下現代人の豆の加工法を挙げてみましょう。(数字は大豆の場合の消化の割合)

@ 引き割る
チンパンジーは硬い実を石で砕くことができる。しかし人間は「石」よりもさらに効率的な道具「臼」を発明した。さらに現代の動力製粉機は実を微粉末にできる。引き割る時あらかじめ豆を焙れば作業は容易になり、味は芳しく消化の割合は飛躍的に高くなる。(きな粉→60%)

A 水浸漬(発芽モード化)
水に浸漬すると、毒成分が抜ける(毒晒し)。また吸水した豆は柔らかくなり、機械力で簡単にペースト状にすることができる。

B 発芽
さらに長期間水に浸漬させ(時々水を交換)、発芽させる。栄養分は豆自身の酵素により低分子物質へと分解され、消化しやすくなる。(もやし)

C 加熱
煮る(→80%)、蒸す、焙る・・・。(とつておきの豆料理法は山本先生のレシピをどうぞ)

D 発酵
特定の微生物を接種し、その作用で栄養分を消化しやすく、また独特の風味を付ける。(納豆→80%、味噌→80%、醤油→95%)

E タンパク質分離
豆を煮てペースト状にしたもの(豆乳)に、苦りを加えタンパク質を凝固・沈殿させる。(豆腐→90%)


初夏の豆

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 初夏の愉しみは、キャベツ、タマネギ・・・とありますが、忘れてならないのがエンドウ、ソラマメなどの「初夏の豆」です。

 多くの豆(大豆、小豆、ささげ、インゲン豆など)は初夏種子を播き、その多くは秋遅く完熟豆として収穫されます。しかしエンドウ、ソラマメなどは前年の秋の終わりに種子を播き、幼植物の状態で冬を越し春に成長、初夏収穫されます。これらの「初夏の豆」は未熟の状態で(野菜として)食べることが多い。本来は秋収穫する大豆を「枝豆」として食べるようにです。硬い豆を若く柔らかいうちに美味しく食べるのも、人間の特権の一つといえます。

 恒例の「畑の食卓学」的食べ方。絹莢エンドウはさっと湯がいて、バター炒め。グリンピースはいうまでもなく豆ご飯。収穫したての香りと味と緑鮮やかな彩りが、そのまま身体に沁み入ります。
posted by グレイニスト at 01:03| COLUMN 明峯哲夫先生の畑の食卓学

2014年06月01日

「タマネギ~もう一つの結球野菜」明峯哲夫

陰の濃くなる初夏の頃、タマネギの収穫期を迎える。穫りたてのタマネギはどんな風に食べても美味しい。しかし瑞々しくピリッとした風味を愉しむには、何はともあれ赤タマネギのオニオンスライスだ。包丁をよく研ぎ、シャッ、シャッと薄く切る。しばらく水に晒した後、水を切りおかかを振りかけ、醤油をたらす・・・。傍らに芋焼酎と初ガツオがあれば、言うことはない。
 至福の一時をもたらす新タマネギ(ただし食べ過ぎると胸やけ)。このタマネギの“球”とは一体何なのだろう。根?茎?それとも・・・。その正体を知るために、まず同じネギ科の仲間であるネギを調べてみよう。


ネギ科は単子葉植物。単子葉植物の葉は細長い(注1)。これらの葉は葉身、葉鞘という二つの部分に分かれる。緑色の平たい部分が葉身、その下に筒状の葉鞘が繋がっている。葉はいずれも葉鞘の部分で互いに抱き合う。一枚一枚の葉は華奢でも、重なり合うことで頑丈になる。強い風にあおられてもしなり、折れることはない。
ネギ(図1)の緑の部分は葉身、白い部分は葉鞘に相当する(注2)。ネギの場合、葉身も筒状で、折れにくい。ところで茎はどこにあるのだろう。白い部分はまるで茎のように見えるが、これはあくまでも葉の一部。ごく短い茎は葉鞘内部の根元(つまり地中)にあり、外からは見えない。茎の成長点は上向きに円筒状の葉を次々と分化させる。新しい葉はその前にできた葉の内側にできる。こうしてネギの体(葉)は長く、太く育っていく。一方成長点は下向きに根をつくる。

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 タマネギを解剖してみよう。図2から分かるように、球は重なった葉鞘部分が肥大したものだ。植物学ではこの球を鱗茎(りんけい)、つまり「茎」と表現しているが、あくまでも「葉」の一部である。球を構成する一枚一枚の肥大した葉(葉鞘)を、鱗茎葉と呼ぶ。この「葉」が我々の食用となる。葉鞘と葉身は一枚の葉として一体だから、鱗茎葉の枚数と地上部の葉(葉身)の数は等しい。

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 タマネギの種子は真夏に播く(注3)。小さな苗の状態で越冬し、翌春暖かくなると成長が本格化、やがて結球が始まる。タマネギを結球に向かわせる環境シグナルは、長日条件(一日の日長が一定時間より長くなること)である。初夏。地上部は萎え、へたり込みやがて枯れる。こうして鱗茎は収穫期を迎える。茎の成長点はこの時以降しばらくの間活動を停止し、鱗茎は休眠に入る。休眠期間中芽は出ない。タマネギの原産地は中央アジアの乾燥地帯。休眠は夏の高温と乾燥に耐えるための、タマネギの知恵である。


 2回目の冬を迎える頃、畑にそのままにしておいた鱗茎は休眠から目覚め成長を再開する。茎の成長点に何枚かの葉が分化し、成長を始める。その後茎には花芽が分化する(シグナルは冬の低温)。もう葉は増えない。やがて暖かくなると葉は伸び、続いて先端に花芽を着けた茎が抽苔してくる。花茎の長さは人の背丈程にもなる。花芽は成長し、ぼんぼり状の“ネギ坊主”をつくる。ネギ坊主は小さな花の集合(花序)だ。やがて花粉が成熟する。ネギの花は虫媒花。空中を飛び交う昆虫たちにアピールするよう、花茎は精一杯背伸びしている。


 タマネギの球を縦に割ったその断面は、キャベツのそれによく似ている。多くの葉が丸く重なり合い、中心にある小さな茎(成長点)を覆っている。こうしてキャベツの結球葉は冬の寒さから(5月号参照)、タマネギの鱗茎葉は暑さと乾燥から成長点を守っている。しかしタマネギの鱗茎葉の役割はそれに留まらない。分厚い鱗茎葉に貯蔵された栄養分(糖分など)は、再開する成長とその後の大量の種子生産を助けている。
 発芽から開花結実まで丸2年。1年目は専ら自分の体(鱗茎)を充実させる。2年目はその体を礎に旺盛な子づくりに励む。丸くたおやかな球は、タマネギの「満を持す生」を映し出している(図3)。

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(注1) 単子葉植物でも広葉を持つものもある(例えばサトイモ科、ユリ科など)。しかし、単子葉植物の葉の葉脈はいずれも平行(双子葉植物の場合は網目状)。
(注2) 同じネギでも関西系のネギ(九条ネギなど)は緑の部分、関東系のネギ(千住ネギなど)は白い部分を主に食用としている。
(注3)東京周辺では8月末頃。冬が厳しい北海道では春播きが一般的。



posted by グレイニスト at 00:40| COLUMN 明峯哲夫先生の畑の食卓学

2014年05月01日

「キャベツ物語~結球の不思議」明峯哲夫

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 春キャベツの季節がやってきた。夏や冬のキャベツに比べ、春のキャベツは巻き方がルーズで葉の数が少ない。キャベツは本来この季節には花を咲かせたいので、葉を強く巻くことに逡巡しているのだろう。それだけ葉は柔らかくしなやかだ。何といってもロールキャベツは春キャベツに限る。                   
 ところでこのキャベツ。はるか昔は結球しなかった。茎は高く伸び、まばらに着いた葉は横に拡がっていた。キャベツの祖先と考えられている野生のキャベツは、今でもヨーロッパの大西洋や地中海沿岸の岩場に生えている。この野生種から人間は、何千年もの歳月をかけて結球するキャベツ、さらにブロッコリー、カリフラワー、芽キャベツ、コールラビー、ケールなど多様な野菜をつくり出したのである。これらの野菜の祖先はいずれも共通で、植物学的には同じ種類(Brassica oleracea・アブラナ科)に属する。「青汁」でおなじみのケールの姿に似た野生キャベツが、どのようにして見事な球を結ぶ植物へと変身したのだろう。


 野生のキャベツの価値に最初に気付いたのは、イベリア半島ピレネー山脈の西側にくらしていたバスク人だった。5000年程前のこと。半農半漁を営む彼らは岩場に生えているキャベツの葉を摘んできて、塩ゆでしたり、粥に入れて食べていた。粥は水に浸してすり潰した大麦を、たっぷりの水と山羊のチーズで煮てつくる。この時からキャベツの物語はスタートする。


 今から3000年程前。それまで中央ヨーロッパに住んでいたケルト人たちは地中海沿岸やバスク人のくらしていたイベリア半島に進出してくる。彼らも栄養豊富で薬用(下剤や頭痛薬!)にもなるキャベツの葉が大好物になった。やがて彼らは野生のキャベツを畑で栽培することを思い立った。
ケルト人のように広い地域を移動し、様々な土地の人々と交流すると、それぞれの土地で利用されている様々な植物の種子(たね)を手に入れることができるようになる。そして人と一緒に種子も移動する。異なった系統の野生キャベツが、もしある場所で隣り合って栽培されれば、交配して新しい性質をもったキャベツができ上がる。もちろん当時の人々がそのようなことを意図していたわけではない。こうしてケルト人の手により夏の乾燥に強い地中海沿岸のキャベツと、冬の寒さに強い大西洋沿岸のキャベツとが掛け合わされ、現在のキャベツが持つ性質ができ上がったと想像される。


 夏の終わり、キャベツの種子を播く。芽生えたキャベツはタンポポのように地面にへばりついたロゼットをつくる。上から見るとバラの花飾りのよう。そこでロゼット(rosette)。秋から冬にかけてロゼットは葉の数を増やしていく。しかしある期間寒さに晒されると、それがシグナル(信号)となり花芽ができる。花芽ができるともうそれ以上葉の数は増えない。
 春。ロゼットの中心から先端に花芽を着けた茎が伸び始める。抽苔(ちゅうたい)という。やがてナタネ(アブラナ)とそっくりな黄色の菜の花を咲かせる。するとミツバチが盛んに飛び交い、花粉を花から花へと運び始める。
キャベツなどのアブラナ科の植物の多くは、自分の花のおしべとめしべの間では交配が起きないという独特の性質がある(自家不和合という)。種子を作るためには他の個体の花から花粉を貰わなければならない。それを仲立ちするのがミツバチなどの昆虫だ。もちろん当時ケルト人たちがそのような“理屈”を知る由はなかった。


 古代ギリシャ。ここに住む人々も多くの系統のキャベツを栽培していた。この地までやってきたケルト人から、キャベツは健康に良いと知らされていたに違いない。この中で花芽の美味しい系統のキャベツは地中海沿岸の人たちによりやがて、ブロッコリーへと改良されていくことになる。
 一方ギリシャの人々は、キャベツの葉に霜が当たると、柔らかくなり、甘みを増すことに気付く。そこで柔らかく、甘い葉をもっと多く着けるキャベツを手に入れようと考え始めた。人類がキャベツを“改良”しようという具体的な「意図」と「目標」を持ったことになる。
 ところで、キャベツのロゼットの葉の着け方にはある法則性がある。それは135度の間隔で葉を着けるということだ。すると9枚目が1枚目に重なり、そこから2層目になり、17枚目からは3層目になる。重なった下の葉には光が当たらなくなり、やがて枯れていく。このようにキャベツがロゼットである限り葉の数を増やすには限界がある。それにロゼットの葉は横に拡がるので、光がたっぷりと当たり、葉の緑色が濃くなり、硬くなってしまう(今のケールの葉のように)。当時の人々が、美味しい葉をたくさん手に入れようと考えても、それは簡単には解決できない難問だった。
いずれにしてもそのためには、多くの系統のキャベツを一時に栽培できる広い畑と、それを可能にする社会的(政治的)仕組みが必要だった。


 今から2000年程前、古代都市ローマは地中海沿岸を広く支配していた。その権力を背景にヨーロッパ各地から様々な性質を持つキャベツが集められ、栽培された。こうしてキャベツは様々な組み合わせで掛け合わされ、ますます多様になっていった。
 他の個体から花粉を貰った時だけ種子を着けるというキャベツの性質は、「変わり物」をたくさんつくることには役立つ。しかしこの性質は、人間が好ましい性質を持つキャベツをつくるにはとても厄介だ。あるキャベツが気に入ってその種子を翌年播いても、親と同じ特性を持つ子が生まれてくるとは限らないからだ。どんな花粉と交配したかは、それを運んでくれたミツバチにでも聞かない限り分からない。当時の人々はこのことをとても不思議と思っていたに違いない。人間が望ましいキャベツをつくることはこうして、行きつ戻りつすることが避けられなかった。


cabbage3.jpg紀元始めの頃。古代ローマ人たちは、広い畑の中から、葉が横に拡がらず直立する系統のキャベツを見つけ出す。初めに出た何枚かの葉を残して外側の葉が次に出てくる内側の葉を包むように立ち上がる。そうすると内側の葉に当たる光は弱くなり、それだけ葉は柔らかく、甘味が増す。これは大発見だった。
 春暖かくなるとタンポポのロゼットの葉が立ち上がってくるのは、誰もが目にするだろう。このようにロゼットの葉が立つ性質を、植物は元来持っているに違いない。キャベツも「立つ」性質を潜在的に持っていて、それを選び取ることで人間は“立つキャベツ”にたどりつくことができたのである。しかし“丸いキャベツ”への物語はまだ続く。





 ヨーロッパの中世。各地にはキリスト教の修道院が建てられていた。そこは広い農場を持ち、修道士たちは自給自足のくらしをしていた。何百・何千という修道院は一つの宗派としてまとまり、その中で農業への情熱を持った修道士たちは知識を交換しながら、穀物や野菜の研究をしていた。修道院の今でいう農業試験場のような活動は、キャベツの改良にも大きな貢献があったに違いない。こうしてようやくゆるく結球するキャベツが発見される。それは12~13世紀のイタリア。これがヨーロッパ中に伝わっていく。人々が野生のキャベツを利用し始めてから、既に5000年近い月日がたっていた。


 キャベツの結球の仕組みを現在の丸いキャベツで観察してみよう。ロゼット葉が出て20枚目位までの葉は曲がらず、ケールの葉のように大きく外に向け拡がっている。しかしそれ以降の葉は順に内側に曲がっていく。葉が内側に曲がるのは、葉の内側の組織の成長より外側の組織の成長が大きいことによる(バイメタルの原理)。このような内側と外側の組織の成長のズレは、外側の葉が立ちあがり内部が暗くなることがシグナルになり、オーキシンと呼ばれるホルモンが作用することにより起こることが、現在分かっている。いずれにしても葉が曲がりながら成長していくと、それに包みこまれた内部の空間はどんどん拡がっていく。その空間の芯の部分から新しい葉が次々と生まれ、それらも成長しながら曲がっていく。こうして葉の数は無限に増えていく。
 球の中は闇。そこで育つ葉は白く柔らかくなる。キャベツに球を結ばせるのは、葉の数を空間的に稼ぐだけでなく、同時に柔らかく美味しい葉を手に入れるためだ。キャベツを愛する人々がたどりついた球になるキャベツを探すというアイディアは、だからとびっきりの正解だった。
 球を結ぶには、外側に拡がる20枚程の葉の働きが重要だ。これらの葉は太陽の光を利用して栄養分を合成する。その栄養分は丸まっていく若い葉に送られ、彼らの成長を支える。結球キャベツは栄養を合成する葉(同化葉)と、それに支えられひたすら枚数を増やしていく葉(結球葉)とを役割分担させることで生まれたのである。


 16世紀頃、ゆるく結球したキャベツは世界各地に普及し、それぞれの国に適したキャベツへと改良される。そして19世紀の後半から20世紀にかけて、植物の交配や遺伝の仕組みが科学的に明らかになる(メンデルの法則!)。これらの原理を利用した近代的な育種法が生まれ、ようやく現在のようなコンパクトに巻いたキャベツが出現した。


春の始め。寒い冬を耐えてきたケールを観察してみよう。ロゼットの中心に、小さな芽ができている。良く見るとそれは何枚かの小さな葉で覆われている。小さな葉は重なり球になり、芯にある芽を厳しい冬の寒さから守っているようだ。その姿はまるで小さなキャベツ。そう、キャベツの仲間はもともと葉を丸めていく性質を持っていた。見事に結球するキャベツは、花芽を寒さから守ろうとする野生のキャベツの知恵を発見し、それを最大限発揮させようとした人間の知恵が作り出したものだったのである。


丸いキャベツ。それは人間が最初からつくろうとして、つくりだしたものではない。それは何千年という間、美味しいキャベツを食べたいと願う無数の人々の試行錯誤の中から、徐々にイメージされていった。そして気がついたら、人々の目の前には丸々と球を結ぶキャベツが育っていたのである。こうして今私たち現代人は、それを堪能するという大いなる恩恵に浴している。



※この文章は勝又進氏(漫画家・故人)との絵本『丸いキャベツの不思議』(未刊)共同制作に負っている。


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posted by グレイニスト at 12:22| COLUMN 明峯哲夫先生の畑の食卓学