2017年04月03日

Vol.4 粉(こな)にする過程も手段も変遷〜粉の挽き方、粒経揃え〜

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前号Vol.3では、穀物として最も古い起源を持ち、今も穀物の中で、全世界で最も生産量の多い「麦」を取り上げ、その「栽培の始まり」と「原種」についてお話ししました。麦はヒトによって栽培=作物化され、野生型から栽培型へと変わってきたのでした。
 今回は人類五千年の歴史の中で、ヒトは麦をどのように食べてきたか、その歴史から私たちは何を学ぶべきかを考察します。
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製粉の歴史


ヒトの主食である穀物の食べ方は、そのまま粒で食べる粒食(りゅうしょく)と、粉に挽いて食べる粉食(ふんしょく)に大別されます。
米は外皮(モミ)と内皮(ヌカ)が剥がしやすく、硬い胚乳部を取り出して煮るだけで食べられたので、主に粒食となりました。
一方、麦の外皮は厚く硬く、柔らかい胚乳部に密着していて、容易に分離できません。
そのため、麦は粒のまま砕いて粉にしてから皮を分離し、粉末の胚乳部を食べる粉食となりました。
 
野生の麦の粒をヒトが初めて口にしてから、現在の大規模化した製粉工場に至るまで、粉にする過程=製粉の歴史を詳しく解りやすく説いたHPがあります。
木下製粉株式会社(香川県)HPの「製粉の歴史」です。ご一読をおすすめします。
参考:http://www.flour.co.jp/history/history13.php

 麦の粒を口に入れ、歯で砕いて飲み込んでいた数千年を経て、紀元前三千年紀のエジプトで、穀物を2つの石の間で擦ったり叩いたりして粉砕するやり方を誰かが考えつきました。
それが最初の粉砕器・サドルストーンとなって何千年と続き、次にギリシャで上石に取っ手をつけ、下石を平らにしたスラブミルへと進化し、さらに粉砕面を傾斜させたプッシュミル、取っ手の片方を固定したレバーミル、円運動のアワーグラスミル、さらに効率的な円錐状のカーン(石臼の原型)へと進化したのが紀元前5世紀頃だそうです。

 動力は人力、馬や牛などの畜力、水力、風力へと進化しますが、粉砕部分は石臼のまま16世紀まで続きます。
円錐型ローラーを取り入れたラッメリ製粉機(1588年)、シリンダー型ローラーを設置したベックラー製粉機(1662年)を経て、現代のロール製粉機が発明されました。
速度差のある2つのロールで小麦を細かく挽き、それを細かくふるい分け、今では一粒の小麦を最終的に40種類前後の最終製品に採り分けるようになったのです。


製粉の“進化”の過程で失ったもの


このように、ヒトは人知を尽くして、より効率的に「粒を粉に」してきました。
しかし、グレイニズムの観点から、いのちの糧である穀物を考えると、製粉の“進化”の過程で失ってしまった「value=価値あるもの」もあるのです。
それらを4つに分類して、解き明かしていってみたいと思います。

まず、水を介する製粉が失われたこと。

はっきりした史料は残っていませんが、大昔、硬い穀物をすりつぶすには、少量の水分を介してつぶしたはずです。
挽く前に穀物に水をうって柔らかくする、その準備の中で、発芽モード(生命活動に必要な水分を自己給水し、発芽、発根活動にスイッチオンした状態)にもなっていたと推察します。

この推察は、狩猟採集時代から農耕に移行した日本の縄文時代などでも見られる、半栽培した栃の実やドングリを水にさらすことによって、えぐみ(動物が食べると阻害を被りかねないアブシジン酸や各種インヒビターのような自然毒などを含む)を緩和して食した食文化史が根拠です。
このドングリの例は、元々サルであった人類の祖先が、いわば、水によって食べものニッチを拡げる努力をしていたことを示しています。

次に、穀物を浸していた水分ごと食べる習慣が失われたこと。

現在の小麦粉を使ったパンは、たまたま、水で練られた小麦の粉が常在菌(天然酵母)によって発酵し、その菌が生命活動の証として作った気泡が、グルテンの「つなぎ効果」によってパン生地にすきまを残すことで、ふっくら、みずみずしく焼き上がったおかげで誕生しました。
それ以前は無発酵のパン、その前は外皮を除いた小麦粒を湯で煮た“おかゆ=ポーリッジ”が何千年も小麦の食べ方の主流でした。
さらに、もっと昔には口の中で穀粒を噛み、固い外皮を吐き出しながら、可食部分を唾液とともに胃に収めたという歴史もあったでしょう。

三つめに、粒の大小(粒経)が揃い過ぎ、細かくなり過ぎたこと。

製粉の“進化”の過程から見て、ヒトが生命の糧として食べてきた小麦の粉は、もともと粒経が不揃いで、粒の粗いものでした。私たちは、その粉の歴史のその原点も忘れています。

小麦は、捏ねると胚乳に多く含まれるタンパク質であるグリアジンとグルテニンがグルテンという粘り気を持つタンパク質に変化し、いろいろな食物と一緒に食べると、食品中の油脂やタンパク質とよく結合して、非常に水に溶けにくく、加水分解の一種である「消化」がなされにくいものになってしまいます。 

わかりやすい例を挙げると、良く捏ねて作ったべたべたしたドゥー(パン種)は、両手のひらや指の隙間にこびりつきがちです。
小麦粉パンを自分で作ったことのある人にはお分かりだと思います。
この厄介な「べたべた」は小麦の粉が細かければ細かいほど、指紋の隙間にまで入り込み、水で洗って取り除こうとしても無理です。
両手を擦り合わせて、まるで、垢(アカ)を擦り取るようにするしか取り除く方法はなくなってしまいます。
以前に、特殊な製法でナノレベルにまで粉砕した小麦粉でパンの生地を作った職人が、こねた生地が手に膜を作ったようにこびりつき、とうとう、包丁の刃でこそげ取るしかなかった現場に立ち会ったことがあります。
これが、消化器官内で起こったとしたら?考えただけでも恐ろしくなります。

水に溶けないから、消化できなくなる、この「難消化」は具体的には、タンパク質であるグルテンをアミノ酸にまで消化できずに、ペプチド(アミノ酸が結合したままのタンパク質よりは小さな分子)レベルのまま、腸管より吸収されてしまう可能性があることを意味します。
グルテンペプチドは、脳には麻薬様物質として誤認され、特に精神面での様々な不健康を引き起こすことがわかっています。

小麦を食べると体調が悪くなる人が出て、昨今「グルテンフリー」の食生活が注目されているのは、こういうところに原因の一つがあることを知っておいてほしいと思います。

最後に、4つめは、一物全体食から遠のいてしまったこと。

一粒の麦を細かく挽き、それを細かくふるい分けてブレンドする近代製粉は、外皮の部分をふすまと呼び排除し、一粒全体を食べる機会を失わせました。
いのちある穀物、蒔けば芽を出す穀物のいのちのエネルギーを丸ごといただく食文化から、ヒトは遠く離れてしまったようです。


今こそ、グレイニズムの提案


グレインズ・イニシアティブが広めつつある穀物の正しい食べ方は、上記のような現代の粉食文化へのアンチテーゼと言えるでしょう。

玄米・雑穀を充分に浸水して発芽モードにし、粒経が不揃いに粗くなるよう水中粉砕して、例えばパンを焼き上げる。この手法なら、製粉機なしでも穀粒を粉砕でき、穀粒を丸ごと食べることができます。
さらに言えば、穀物粉はいずれにせよ水分を加えてこねて加熱して食べるのですから、穀粒を水中粉砕し、それを加熱しても同じことなのです。
ヒトが手にした穀物食・加熱食の文明的な意義を踏まえ、粒食と粉食の“いいとこ取り”をした健康的な食べ方へ。私自身、さらに学びを深め、伝えていきたいと思います。

posted by グレイニスト at 10:25| グルテンフリーの真実

2017年01月19日

Vol.3 小麦の原種

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前号Vol.2では、作物化について、植物体への人為的な品種改良がどんな意図で、どのように行われていったのかを一般論として述べ、小麦の品種改良については、わかりやすく述べているサイトと三冊の本をご紹介するにとどめました。
今回は、グレインズ・イニシアティブとして、品種改良についての考え、そして、そもそもの「麦」の栽培の始まり、「麦」の原種についての見解をまとめておきます。
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品種改良は「緑の革命」により遺伝子組み換え操作へ、
「人類、策に溺れたり?」


自然のままに育っている植物を、ヒトの都合の良いように育てやすく、食べやすくする「作物化」。
農耕が始まった当初の作物化は、「どんなときにも家族や仲間が飢えずに食べるものがある」という恩恵を与えてくれるものでした。

しかし、ごく近年(ここたった50年ほどの間ですが)、この作物化、つまり、品種改良が過度に、しかも化学的に行われるようになったとき、“恵み”であるはずの作物は、突然、“不自然な食べもの”として牙をむき、人類の健康に大きなマイナスの影を落とし始めました。
特に、遺伝子組み換え技術は異種生物の間でも行われ始め、致命的なトラブルを作り出したのです。 
まさしく、「人類よ、策に溺れたり」というところです。

どのような遺伝子が選ばれて、次世代に受け継がれていくのか、それは本来、時の試練を経なければなりません。
しかし、遺伝子組み換え技術は、人類のここ数年で知り得た狭量な知識の中で「正しいはずだ」と推測したに過ぎないもので構成されています。

参考:http://gmo.luna-organic.org/?page_id=18
サルでもわかる遺伝子組み換えより  遺伝子組み換え基礎知識 

農学者ノーマン・ボーローグ(ノーベル賞受賞)による緑の革命(1940年代~1960年代)は、急激に増加する人口に対応するため多収穫の小麦=半矮性種の小麦(奇跡の麦)を誕生させ、これ以降、私たちが普段口にする小麦粉製品はほとんどが、この半矮性種、品種改良という名のもとに遺伝子操作された小麦となりました。
遺伝子組み換えという言葉が一般消費者に根付く前から、すでに小麦は遺伝子操作されてしまっていたのです。

参考:奇跡の麦
コムギや他の穀物では、多収になると穂の重さにより倒れ易くなる。ボーローグは小麦農林10号を親に用いて背の低い丈夫な麦を作った。
これが奇跡の麦である。
これにより、数億人もの食料危機に瀕している人々が救われたといわれている。
この後、米やその他の穀物の「奇跡の品種」がすぐ後に続き、世界の「緑の革命」の引き金となった。

ところが、奇跡の麦には元々の古代小麦にはなかった(もしくは少なかった)グリアジン(グルテンの前駆体)というたんぱく質が多量に含まれていたのです。
また、緑の革命とは、高収量品種の導入だけではなく、化学肥料の大量投入などにより穀物の生産を向上させ、人件費を低減し、穀物の大量増産の達成を目指す「農業革命」の一つにほかならないのですが、多投された化学肥料や農薬で農地は微生物の住めない不毛の地となっていきました。 

新しい品種の小麦は、地球環境を汚し、人に健康被害を及ぼす存在に成り果てていったことをしっかり理解しなければなりません。


麦(ムギ、バク)という表現

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麦(ムギ)とは、コムギ、オオムギ、ライムギ、エンバクなどの、外見の類似したイネ科穀物の総称で、このように多くの種類を総称した日本語の「ムギ」に相当する表現は、英語にはありません。

英語では、それぞれの種類によってbarley(大麦)、wheat(小麦)などと、全く違う語源を持つ単語として使い分けられます。
また、私たち日本人は、麦をイネと全く別の穀物と思いがちですが、「科」は同じなのですね。植物学上の分類は下記の通りです。一度じっくりとみて、理解を深めておきましょう。
(ウィキペディアより)

イネ科 ○イチゴツナギ亜科
・Bromeae 連
・スズメノチャヒキ属 - イヌムギ - 雑草
・Poeae 連
・カラスムギ属 - エンバク、カラスムギ
・ドクムギ属 - ドクムギ/ノゲナシドクムギ(Lolium temulentum)、ホソムギ(ペレニアルライグラス)、
 ネズミムギ(イタリアンライグラス)、アマドクムギ(Lolium remotum)、ボウムギ(Lolium rigidum)
 他 - 牧草、雑草
・Triticeae 連
・エギロプス属 - タルホコムギ、クサビコムギ 他
・オオムギ属 - オオムギ(二条オオムギ、四条オオムギ、六条オオムギ (en)、ハダカムギ)
・コムギ属 - パンコムギ、デュラムコムギ、スペルトコムギ、
 エンマコムギ/クラブコムギ (Triticum compactum) 他
・ライムギ属 - ライムギ
○キビ亜科
・Andropogoneae 連
・ジュズダマ属 - ハトムギ

備考:スぺルト小麦は英語名、ドイツ語名はディンケル、エンマコムギはドイツ名、イタリア名ではファッロ
麦の起源

〜〜〜野生型の種から栽培型へ〜〜〜

麦は、世界の中で一番多く栽培される穀物で、起源も最も古く、二万年程前にアフリカ大陸のエジプトで野生種が利用され始めたといわれています。(詳細後述)

野生型の植物は、穂が熟すると、穂軸が折れて、種子が地面に飛び散ります。
これは、子孫を繁栄させるためには非常に都合の良い性質です。
ところが、人間が「食べものとして種子を収穫する」場合、種子が地面に飛び散るような穂では収量が減ってしまいます。

そこで、人間は、野生型のなかに混じっている、自分たちに都合がよい「穂軸が折れにくい少数のもの」を好んで選び出しました。
その結果、穂軸が折れにくい種子ほど人間に食べられてしまうリスクが高まったわけですが、同時に、収穫されるチャンスが大きいので、収穫物のうちに折れにくい性質の種子の割合が増加していきます。
収穫した種子を人間が播いて、また収穫を繰り返す、すなわち、栽培が始まると、穂軸の折れにくいものがだんだん増加して、何代かたつと折れないものばかりになっていくわけです。

播種、収穫という人間の作業が行われる栽培条件では、野生状態では有利であった穂軸が折れやすいという性質はもはや必要なく、逆に不利になってしまいます。
コムギもこの例外ではなく、野生コムギの穂軸は折れやすいのに、栽培型の穂軸は折れません。一般に、穂軸が折れないことは、穀物の野生型から栽培型を区別する特徴となっています。

同様のことが、種子の発芽についてもみられます。野生の植物は多数の種子を作り、ばらまきます。
しかし、種子は一斉に発芽することなく、2年も3年もの間、時間をかけてぼつぼつ発芽します。
種子が生きているのに発芽しない性質を休眠性といいます。
一般に、生長する植物体は環境変化への抵抗力が弱く、非常に厳しい環境の下では枯れてしまうものですが、休眠中の種子は災害に耐える力が強いので、簡単に死滅しません。
不時の災害で植物体が全滅しても、予備軍(休眠中の種子)が土中に残っていて、環境が良くなったとき発芽し、生長して子孫を残すことができるわけです。

しかし、人に管理される栽培植物にとっては、予備軍はもはや必要ではないばかりか、一斉に発芽することが望ましいので、休眠性のない、あるいは休眠期間の短い個体が選択されていきます。
種子が一斉に発芽することも栽培型の特徴であり、麦も例外ではありません。
こうして、小麦という「種」の絶対多数は、野生型から、人為的に進化?させられながら栽培型へと変わっていきました。

〜〜〜麦の利用の始まりと麦の自生地〜〜〜〜

イスラエルのガリラヤ湖畔にあるオハローU遺跡の中の、今からおよそ2万1,000年前のものである住居跡(木の枝を組み、草を葺いたものであったと考えられている)から、多数の魚骨とともに、野菜のオオムギ、二粒系コムギ、ピスタチオ、オリーブその他イネ科を含む無数の小粒の種子などを発見されており、同時に発見された擦り石には、これらの種子の付着澱粉が検出されていました。
つまり、この時代、すでにこの場で、麦の栽培が開始され、食べものとして利用されていたと考えるべき根拠が示されているわけです。最終氷期の最寒冷期、現代の平均気温から4~6℃低かった2万年前の新石器時代にすでに、麦が利用されていたという事実は、いかに、人類と麦という植物の関係が深いかを物語っているとはおもいませんか? 
麦は体に悪い、いや、穀物自体が人の生理機能には不適合だ、そもそも植物食(炭水化物)をエネルギー源にすること自体が不適合な動物が人間だなどと、述べてはいけないでしょう。 
過去からの情報を正しく知り、それらから、ほんものの知識を得るということは、今生きている私たち人類の未来をより明るくするためには、非常に重要なことです。
(麦の自然史:丹野研一著 第4章より、山本まとめ)

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さて、野生の麦の原種の自生地ですが、半乾燥地域である西アジア、「肥沃な三角地帯」と呼ばれる地域という通説通りでほぼ間違いないでしょう。
「肥沃な三角地帯」とは、地中海東岸レヴァント地方(シリア、レバノン、ヨルダン、パレスチナ、イスラエル)から北メソポタミア地方(東南トルコ、イラク、イラン)にかけての地方(上図)、現代では、民族間闘争、宗教対立の渦中であるこの地域こそ、三大食糧源の一つである「麦」が産声を上げたところなのです。


〜〜〜野生型から栽培型へ〜〜〜

しかし、最初の麦の栽培は、あくまでも野生型の利用であり、それも、コムギの原種、オオムギの原種、ライムギの原種などが区別されずにまかれていたようです。
この混栽が、多様な品種への進化を促進したのかもしれません。

下図を見ると、「野生型」より「栽培型」が定着、確立していったのは、約7,000年前であるという通説通りであるといってもよいでしょう。
「野生型」「栽培型」、コムギ、オオムギ、合い交じり合いながら、麦は自生地より、1万,8000~1万6,000年前にかけて拡散、次第にユーラシア大陸に移動していきました。

参考:野生 オオムギ
http://www.nias.affrc.go.jp/press/2015/20150729/


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〜〜〜栽培型の進化(コムギ属の進化)〜〜〜


ゲノム分析の結果、コムギ属では、異なるゲノムをもつ種が交雑して雑種が生じ、その雑種の染色体数が自然倍加することで、新しい種が誕生してきたことが分かっています。

まず、野生ヒトツブコムギとクサビコムギの間で雑種ができました。 
染色体数は倍加して、これが野生フタツブコムギです。
(野生フタツブコムギは、Aゲノムを野生ヒトツブコムギから、Bゲノムをクサビコムギから受け継いでいる)

野生フタツブコムギは、チグリス・ユーフラテス川の流域のいわゆる「肥沃な三日月」地帯で約1万年前に始まったムギ農耕で、野生ヒトツブコムギと混栽されるようになり、栽培型のヒトツブコムギとフタツブコムギが誕生します。
これらの初期の栽培コムギは、硬い殻でつつまれて、容易に脱穀できない型でしたが、いつの間にか、殻の柔らかい、マカロニコムギのようなものが突然変異で生じました。
パンコムギなどの普通系コムギは、栽培型のフタツブコムギとDゲノムをもつ野生二倍性種タルホコムギとの交雑によってできました。
栽培型のフタツブコムギにタルホコムギの花粉がかかって雑種ができ、その染色体数が倍加して生じたのです。
このため、普通系コムギには野生型がなく、最初にできた普通系コムギは固い殻に包まれたスペルトコムギでした。
その後、突然変異が起こって、殻の柔らかい現在のパンコムギになりました。

下記引用は、神戸大学 植物遺伝学研究室のHPより
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http://www.plantgenetics-kobeu.info/album/%e3%83%95%e3%82%a9%e3%83%88%e3%82%ae%e3%83%a3%e3%83%a9%e3%83%aa%e3%83%bc%3a-%e7%a0%94%e7%a9%b6/fig1-jpg/



posted by グレイニスト at 18:24| グルテンフリーの真実

2016年12月08日

vol.2 品種改良とは?

そもそも、穀類をはじめとする作物の祖先は、野生の草木類です。
私たちが見慣れた、麦、米、トウモロコシ、バナナ、トマト、なすび、スイカですが、これらは元々から今のような姿、味、色をしていたわけではありません。
原産地も、非常に限定的です。

少し、その姿を見せましょうか。

トマトの原種  タマリロ
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http://yakushimajiji.at.webry.info/201405/article_21.htmlより

バナナの原種
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スイカの原種
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http://labaq.com/archives/51854698.htmlより

人参の原種
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http://blog.goo.ne.jp/taronpe-1944/e/2ae43cec864b26d73dbe746afd29e427より

麦の原種
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米の原種
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http://npotambo.com/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%88%80%E3%81%AE%E9%8D%94%E3%81%AB%E6%8F%8F%E3%81%8B%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%A8%B2.htmlより

どうですか?祖先と子孫、こんなに姿は違うのです。
では、野生の植物たちが、今の穀類や野菜、果物になるまでに、どんなことが起こったというのでしょう?

一刀両断すると、

自然の力ではなかなか起こりにくい「掛け合わせ」を、人為的に、回数多く行うことによって、植物の持っている性質を強調したり、あるいは、まったく無くしたりしたのです。
こういう行為を、品種改良と呼んでいます。
別の表現をすると、人間に都合の良いように植物の性質を変えていったのです。

ここで、一度、私たちの一番なじみ深いイネ(お米)を例にとって見ましょう。
(麦から敢えて離れて)

イネの原種はもともと日本列島にはありませんでした。
縄文時代に、朝鮮半島を通って、原産地の中国大陸から伝えられたといわれています。
今から50年ほど前には、弥生時代にイネの伝承があり、縄文文化ら弥生文化へ進んでいったとされていましたが、最近の科学の進歩でイネの伝承の実態、つまり、歴史的事実は、これとは少し違うということがわかってきました。
花粉の含まれる「不腐食成分のプラント・オパール(ケイ素が主成分)」の発見により、土地々の大昔の植生がわかるようになってきたからです。

品種改良の最初は、実った雑多なイネ(いろいろな原種が混ざり合っていたと考えられています)の中から、丈夫で育ちやすく、たくさんの実をつける、栽培に良さそうなものを選んで増やすことからはじまりました。
たとえば、ある病気が流行した年に、その中で実ったものを次の年のタネにするだけでも、その病気に対して強い品種を選んだことになります。 
また、自然下での交配(かけあわせ)が起こり、時には突然変異によって、それまでとちがうイネが出てきたりして、その突然変異種が自然により適合的であれば、その場所でくりかえし植えて、その土地に一番合ったものに進化させていったようです。

イネの花がさく時期や、株の大きさ、分桀(ぶんけつ)、茎の長さ、根の張り出しなどで区別して、いわゆる「品種」を作ったのは、平安時代ごろからだといわれています。
さらに、鎌倉時代から後になると、品種への関心が高まり、新しい品種を発見したり、品種の分類を進めたといわれています。こうして分類された品種が、たくさん植えられていた時代は江戸時代までつづきました。 
明治時代になると、今度は、たくさんとれて、おいしくて、病気や寒さに強い品種を、いよいよ、もっと積極的に、人工的に創り出そうということになりました。

特に、庄内平野では、昔から農家の人がイネの品種改良を盛んに行っていました。
余目町の阿部亀治さんが育成した「亀の尾」は、今の「コシヒカリ」や「ササニシキ」「ひとめぼれ」「あきたこまち」「はえぬき」といった、おいしい品種の先祖です。
1893年(明治26年)亀治は、冷害の年に立谷沢(現:庄内町)の熊谷神社に参詣した際に、その近隣の田んぼで、在来品種「惣兵衛早生」の中で冷害にも耐えて実っている3本の穂を見出しました。
亀治は、この3本をかけあわせて、苦労してより冷害に強い「亀の尾」を増やしたといわれています。
このような品種改良は、現在、試験場でおこなっている方法とあまり変わらないもので、基本的にすべての野菜の品種改良の基本になるものです。

その後、明治31年にイネを人工的にかけあわせる技術を、滋賀県の高橋久四郎が開発し、明治37年(1904年)から農商務省の農事試験場(設立1893年)で、山形県の加藤茂苞(かとう しげもと)がイネの品種改良研究を実際に開始しました。

参考  農林水産省HP http://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1111/spe1_01.html

品種改良の原点は、このように、栽培地域の気候により適応的なものを作り出し、収量を上げる、気候の変動に打ち勝つことでした。しかし、ある程度この要求を達成できる技術が完成すると今度は、要求事項に経済的一面が加算されていきました。


そして、この経済的一面が、大きな問題を生んでいきます。

おいしくないと売れない、もっとおいしいものを作り出したい・・・・
この思いが、植物の有るがままの姿を歪めていったのです。

1)おいしくなった植物は、別の表現をすると、栄養豊富になっているといえます。
ところが、私たち動物はその、栄養豊富な状態には、適応していないのです。
食べものを探す苦難の進化の歴史の途中、何度も飢餓を生き抜いてきた記憶は、体に「飢えには強いが、飽食には弱い特質(節約遺伝子)」を残してきたからです。

2)植物の側から見ると、とてもおいしくなった体は、多くの捕食動物にかじられてしまいます。
これらから身を守るために「阻害毒」も構築しなければならなくなるのです。

3)おいしくなった植物を栽培する側の人間にとっては、自分たちが食べる前に、植物(作物)を食べてしまう細菌や虫、小動物はまさしく敵ですから、それらを殺す工夫をしなければなりません。

1)によって、米は、アミロペクチンを多く含む品種が多く開発されるようになり、麦は、グルテンを多く含む品種がたくさん栽培されるようになりました。

2)に関しては、おいしくなれと肥料をたくさん与えることで、植物体は、硝酸態窒素(硝酸塩)をより多く、その生体内で作るようになります。人間を含む動物が硝酸態窒素を大量に摂取すると、体内で腸内細菌により亜硝酸態窒素に還元され、これが体内に吸収されて血液中のヘモグロビンを酸化してメトヘモグロビンを生成し、メトヘモグロビン血症などの酸素欠乏症を引き起こす可能性がある上に、2級アミンと結合して発ガン性物質のニトロソアミンを生じる問題が指摘されています。

3)については、細菌を殺す殺菌剤、害虫を駆除する殺虫剤などの農薬に頼ることになりました。
それも、身近にある天然素材(唐辛子など)を活用する「お百姓さんの知恵」から、化学合成物質である農薬を購入して使うように変わって行きました。

最初は、「収量を上げ、天変地異に強い、その土地の気候によくあった作物を作ろう」とするものだった品種改良は、「おいしくて売れるものを作ろうとする、もうけを考える、経済的利己的な」品種改良へと変貌していったのです。
自然の理に合ったものよりは、人の欲求を満たすものへと・・・・。

ここまでは、イネを例としてお話ししました。
このコラムの中心である「麦」において、昔々、遠い西アジアで行われた、複雑でわかりにくい「掛け合わせ」、「品種改良の歴史」については、下記のサイトを熟読ください。
また、3冊の本をご紹介します。

http://sciencejournal.livedoor.biz/archives/929404.html

品種改良の日本史―作物と日本人の歴史物語
鵜飼 保雄 (編集), 大澤 良 (編集)

麦の自然史【人と自然が育んだムギ農耕】
砂糖洋一郎・加藤鎌司

小麦の科学  シリーズ≪食品の科学≫
長尾精一編  朝倉書店


作物に行われる品種改良は、しばらくすると薬品を使った突然変異の創出や、遺伝子組み換え技術の発明などで急速に歪められていきます。自然の営みから外れる、人間の欲望を適えるための異質な生物を世の中に送り込むことになったのです。

そして、人間は得をしたのでしょうか?
自然の中では到底生まれえなかった生物を食することで、何が起こっていくでしょうか?


この続きは、次回vol.3にて。

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posted by グレイニスト at 18:54| グルテンフリーの真実